| 第五話 おババさま
「腹が減っては戦は出来ぬって言うしね~」
イオはそう言いながら、先程渡されたばかりの、まだわずかに温かいパンを齧っていた。
「もう食ってんのかよ…」
その姿を見て、ミスティオが呆れたように言う。 美咲たちは、シュルムプカとフレムランカの国境付近に住んでいるという「おババさま」に会うため、馬に跨り幼少期おババさまには世話になったという、エレニオルとミスティオの記憶を頼りに彼女の家に向かっていた。 当然、美咲に乗馬の経験はない。イオとミスティオは万が一戦闘になった際、即戦闘態勢に入れるよう、一人一頭の馬に乗っている。残るはエレニオルしかいない。美咲はエレニオルの前側に座り、馬に揺られていた。
「おババさまの家までは、馬でどのくらいかかるんですか?」
慣れぬ乗馬のため、必死に馬のたてがみにしがみつく美咲が問いかける。
「…兄さん、わかる?」 「わかるわけねーだろ。最後にババアの家に行ったの、何年前だと思ってんだよ」 「そうだよね…。フレムランカまでは馬を走らせて二日くらい…かな。多分。おババさまの家は国境付近だから、一日半かかるかかからないかくらいだと思うよ」 「わ、わかりました」
美咲は変わらずたてがみにしがみついている。その様子を見たエレニオルが、おかしそうに笑った。
「美咲、それだと馬が走りにくいから。僕にもたれかかるといいよ」 「でも…」
異性と乗馬するというシチュエーション自体、美咲にとっては初めてのことだ。異性として意識していない相手であろうとも、恥ずかしさから美咲は俯く。 しかし勇気を出してエレニオルの胸に背中を預けると、途端に馬上でのバランスが良くなった。
気がつけば小川に立ち寄っているところであった。どうやら美咲は馬に揺られて眠っていたようで、今は馬の休憩中なのだそうだ。
「あ、美咲! ちょうどね、パンを温めてたところだよ。あとスープも」 「イオちゃん…ごめんなさい、私眠っちゃって…。エレニオルさんとミスティオさんは?」
寝ぼけ眼をこすりながら、美咲はイオに尋ねた。
「エレニオルは焚き火に使う枝を集めてくるって。ミスティオはもっと食べ物を探してくるみたいだよ」 「あの…私、何も手伝ってなくて…、寝てて、ごめん…ね?」 「いいのいいの。ご飯食べ終わったら、みんなでテント設置しよ! そのときに手伝ってくれたらいいから」 「わかりました」
イオは簡易的な調理道具でパンとスープを温めている。日が暮れ、少し肌寒い頃だ。パチパチと音を立てる焚き火の暖かさが気持ち良い。 しばし待つと、森の奥から大量の枝を抱えたエレニオルと、きのこや果物を持ったミスティオが姿を見せた。皆で食事をしながら、焚き火を囲む。
「おババさまかぁ、二人から話を聞いたことしかないから、どんな人なのか凄く楽しみ!」
イオは口に一つ、右手に一つ、左手に一つ、パンを持ち必死に食らいついている。 そんなイオを冷ややかな目で見ながら、ミスティオは焚き火に数本、枝を投げ入れた。
「別にただの口うるさいババアだけどな」 「小さな頃、悪戯して怒られたのを思い出すよね」 「あー、ババアが大事にしてた石ころだろ。占いに使うやつな。そういや、隠した時にこっぴどく叱られて、二人でたんこぶ作ったな」 「エレニオルさんがたんこぶ…ふふ」
今の彼の性格からは想像ができず、美咲はぷっと吹き出した。
「そういえば、土産は何持ってきたんだよ」 「以前フラムランカから取り寄せて、僕が念入りに浄化したお酒だよ。おババさまの占いや祈祷に使えるからね」
そう言って、エレニオルは懐から小さな瓶を取り出した。透明なガラスに入れられたそれは、一見水のようだが、エレニオルがそうだと言うのなら、中身は酒なのだろう。
「それならババアも喜ぶかもな。いい土産じゃねえか」 「兄さんは? お土産、何持ってきた?」 「別に何も用意してねえけど」
エレニオルとミスティオが沈黙した。イオが「はあ」と呆れてため息をつく。
「あんた、助けてもらった恩があるのにお土産もないなんて常識なさすぎじゃないの?」 「土産とか、プレゼントとか考えるの苦手なんだよな…。薪割りとか、肉体労働でもすりゃいいだろ。ババアは腰悪いからな」 「脳筋的思考ね」 「言ってろ」
食事を終えると、皆で協力してテントを設置した。 美咲は子供の頃の学校行事・林間学校を思い出すが、よくよく考えればその時も上手くテントが晴れず皆の足を引っ張っていた。ずんと心が重たくなり、憂鬱な気分になった。 ミスティオとイオが交代で焚き火と周囲の見回りを行うことになり、エレニオルと美咲はそれぞれ別にテントに入り、ブランケット一枚を腹にかけて、長旅の疲れもありすぐ眠りについた。
翌日も馬は駈ける。 左右を木々に囲まれ、むき出しの地面がどこまでも続く山道に入って、どのくらいの時間が経っただろうか。 ふいに、エレニオルが馬を止める。
「確かこの辺りだったね」 「え?」
なんのことかわからず、美咲は首を傾げ辺りを見渡した。周囲は何も変わらず森が続くだけで、特段変わったこともなければ、建物らしきものもない。
「ここにおババさまの家へ通じる道が封じられているんだ」
美咲の心を読むかのようにエレニオルがにっこりと笑い、鬱蒼と茂る草の下に根を張った木を指差した。殆ど消えかかっているが、小さくバツのマークが有る。それは本当に僅かなマークで「ここに印がある」と言われても、よくよく見なければわからない程に薄く小さい。
「じゃ、お願い」
イオはミスティオにとってはそれが当然なのだろうか、エレニオルに解除を頼むと、彼は印のようなものを結び短い呪文を唱えた。すると、これまでの森に並行した道とは別の方向へ向かう道が姿を現す。美咲が驚く間もないうちに、一同は開かれた道に馬を進ませた。
「……」 「どうしたの? エレニオル。難しい顔しちゃって」
封印を解除してから黙りこくっているエレニオルを不審に思い、イオが問いかける。
「いや…封印の感じがいつもと違ったから」 「ふーん…? 私は魔法が使えないからわからないけど、違和感みたいなものがあったってこと?」 「そうだね…。まあ、僕が解除できるようにはしながらも、封印の中身を変えることもあるだろうし、ほんの僅かな違和感だから問題はないと思う。美咲、もうすぐ到着するからね」 「あ、はい…」
しばらく馬を走らせると、小さな小屋が見えてきた。木製で一階建ての平屋。まるで童話に出てくる魔法使いの家のようだと、美咲は思った。 馬を降りて駒繋ぎに繋ぎ、ドアの前に立つ。エレニオルも、ミスティオも、少し緊張しているのだろう。表情が硬かった。
コンコン…─
控えめにノックをすると、ドアはすぐに開いた。立て付けが悪いのか、ギィィと蝶番が低い悲鳴のような音を立てる。
「……」 「え…あ」
ほんの少し開いたドアの隙間から顔をのぞかせているのは、少女だった。 部屋の中が暗いため、外の明かりからではその出で立ちはよく見えない。 エレニオルが困惑している様子からして、顔見知りではないようだ。
「…誰?」
少女が小さな声で問う。愛らしい声ではあったが、どこか冷たさを感じる声だ。 翡翠色の瞳が、上目遣いでエレニオルを睨みつける。
「こんにちは、僕はエレニオル。はじめまして…かな」 「エレニオル…?」 「おババさまに会うためシュルムプカから来ました」 「おババさま…」
少女はエレニオルの言葉を、ただオウム返しするだけだ。視線を落とし、何か思案している様子を見せたあと、少女は小さな声で、けれどもハッキリと「入って」と言った。 小屋の中には何本ものロウソクが灯されており、それを照明代わりにしているようだ。 美咲たちを中に招き入れた少女は、くるりとこちらを振り向く。薄ピンクの襦袢に、細身の赤い花柄の袖、赤いスカート。そういえば、イオも赤い服を着ている。フレムランカの人間は、赤を好むのだろうかと美咲は考えた。
「エレニオル…。そっちは、ミスティオ」 「そう。君は?」 「私は…アヤメ」
自らをアヤメと名乗った少女は、名前の通り菖蒲に似た紫の髪色をしている。後ろの髪は肩につくくらいのボブだが、サイドの髪は長く、耳の上で鈴のついたリボンを使って結われていた。 アヤメが少し動くと、その鈴は控えめでありながらも、チリチリと鳴り主張する。
「アヤメ…、よろしくね。こちらはシュルムプカの側仕えでフレムランカ出身のイオ。そしてこの子が…ええと、説明は難しいのだけど、美咲だよ」 「あ、あの…佐倉美咲です。よろしくお願いします」 「…さくら、みさき?」 「美咲が名前で…えっと、好きなように呼んでもらえたら…」
先程から表情の変わらないアヤメに、美咲は少し困惑気味だ。
「ねえ、アヤメちゃん。おババさまは何処にいるのかな? 私達、会いに来たんだけど」
子供の扱いに慣れているのか、イオが少し前かがみになり、目線の高さをアヤメに合わせた。 アヤメはイオの目をじっと見て、淡々と答える。
「おババさまは死んだ」 「…えっ?!」 「!!」 「そんな…」
アヤメの瞳には、困惑も、悲哀も、動揺も、一切の感情が見られない。 幼少期のエレニオルとミスティオを救った「おババさま」は「死んだ」と、ただなんの感情も込めずに言い放ったのだ。
「…ま、まあ…ババアだったしな、老衰だろ。エレニオル、逆に考えてみろよ。今でもあの調子でピンピンしてたら恐ろしいぜ」 「あ…ああ、そうだね。僕もそう思うよ。正確な年齢は知らないけれど、かなりご高齢だったようだし。そうか…お亡くなりになったんだね…。葬儀にも、墓参りにも来ない僕たちのこと、怒ってるだろうね。げんこつされるかな」 「かもな」
エレニオルとミスティオは笑っていたが、寂しさという感情を隠しきれていない。
「…それで? おババさまに、何の用」 「ああ、そうだった。シュルムプカの海にミレーネという名前の人魚がいるんだ。彼女に会いたいのだけど、海は広いから…闇雲に探しても、まず見つからないだろう? 占いで何かヒントを得られたらと思ったんだ」 「でも占いが出来るのは、そのおババさまなんでしょ? どうするの?」 「そうだね…はあ、振り出しに戻る。か…」 「墓参りでもして帰ろうぜ」
困り果てた様子の一同に、アヤメは淡々と言葉を投げかける。
「その心配はいらない。占いの仕方、祈祷の方法、おババさまから教えてもらった」 「本当に? それは助かった…、その前におババさまのお墓参りが出来たら嬉しいのだけど」
その言葉を聞き、初めてアヤメは困ったような表情を浮かべた。どうしたのか、とミスティオが尋ねると、アヤメは切れ切れに話し出す。
「お墓…ある。けど墓参りはしないほうがいい」 「なんでだよ」 「火葬してもおババさまは燃えなかった。だから土葬にしてある。けど…」 「けど? 歯切れが悪ぃな」 「……。とにかく、しないほうがいい。手を合わせるだけなら、こっちにして」
アヤメは部屋の奥に飾ってあった、まるで氷のような透明感を放つ宝石を指差す。 「あれは」とエレニオルが口を開くと、ミスティオは軽い反応を見せた。その宝石─水晶玉─は、幼い頃に悪戯で隠して、二人がおババさまにげんこつをもらった、あの石だった。 言われるがまま、エレニオルとミスティオは、そしてイオと美咲も彼女の安らかな眠りを願い、手を合わせた。
「人魚…獣人の類を探すこともおすすめしない」 「それには何か理由があるんですか?」
ずっと皆の後方に立ち、言葉を発さなかった美咲が初めて口を開く。 美咲の存在を意識したアヤメの目がどんどんと丸くなっていった。それは気の所為でもなんでもなく、誰が見ても明らかな反応の変化だ。
「あなた…神子?」 「…か、どうかはわからないんですけど…。私に神子としての力が宿っているかどうかを確かめる方法を、その人魚の方に聞いてみようという話になっていて」 「その人魚まで死んでねえだろうな…」 「それはわからない。人魚は不老だけど不死ではないから。…安心して、人魚の場所は私が占う」
皆がホッと胸をなでおろした。
「けど対価が必要。私にも生活がある。空気を食べて生きているわけではないから、無償でというわけにもいかない」
アヤメの言うことは一理ある。おババさまが生きていればまた違ったのかもしれないが、アヤメと、エレニオル・ミスティオはたった今知り合ったばかりだ。それに、彼女の言う通りアヤメにはアヤメの生活がある。 それには質素な生活を送ったとしても、大なり小なり金は必要になってくるだろう。 エレニオルは唸ったあと、ポケットから例の酒瓶を取り出した。
「…それは?」 「フレムランカから取り寄せて、僕が念入りに浄化したお酒だよ。お清めや祈祷にいいかなと思って」 「それでいい。いや…それがいい」 「僕はそれで助かるけど…構わないのかい?」 「構わない」
アヤメは手を差し出す。エレニオルはその小さな手に、酒瓶を渡した。 酒瓶を怪しげな薬品の並ぶ棚にしまうと、アヤメはシュルムプカの地図を机の上に広げた。 先端の尖った紫色の石がついたペンダントを取り出し、地図の上を入念に移動させていく。 美咲たちは緊張の面持ちでそれを眺めていた。とある海上を移動した時、そのペンダントがぶるぶると震え始め、アヤメは「ここ」と簡素な言葉で告げた。
「この周辺にいる。…もっともそれは「現在」の話であって、明日には移動しているかもしれない。人魚はあまり広範囲を移動しないけど、行くなら早いほうがいい。この人魚…真面目な性格だけど、後天的な…何か事情があって気まぐれだから」 「ありがとうございます、アヤメさん」 「…礼はいい。少し休憩させてあげたいけど、とにかく早く向かったほうがいい」 「わかった。ありがとう、アヤメ。また今度、おババさまに会いに来てもいいかな?」 「さっきも言ったけど、墓参りはしないほうがいい。でも、この水晶に手を合わせるくらいなら。…美咲」 「は、はい!」 「あなたにとっては…おババさまは面識がない相手。けれど手を合わせてくれてありがとう…イオも」 「いえ、そんな」 「いいのいいの。おババさまの話は、エレニオルとミスティオから聞いてたから。亡くなってたのは残念だけど…手を合わせられてよかった」 「うん…」
馬の体力が心配ではあったものの、アヤメが馬に食事と水を用意したため、少しは休憩できたようだ。エレニオルは駒繋ぎから馬を離すと、手綱を持って馬に乗った。 美咲を乗せようとしたエレニオルに、アヤメが背伸びをする。背伸びをした所で、背の低いアヤメの言葉はエレニオルに届かないと思われたが、小さいながらも存在感のある声と言葉に、エレニオルは動きを止めた。
「エレニオル。おババさまの死は不審な点がある。老衰ではなくて、恐らく…」 「…?!」
その言葉の続きに驚愕し、エレニオルは思わず美咲へ向けて伸ばしていた手を離した。 当然、美咲は地面に尻もちをつくことになり、きゃあと小さな悲鳴を上げる。
「いったた…」 「ご、ごめん…美咲。アヤメ、そのことに関しては僕も思う事があるから、僕なりに調べることにするよ」 「…うん。それじゃ」
アヤメに見送られ、美咲たちは再び来た道を戻る。 封印のマークがある木のところに出ると、自動的に今来た道には封印の魔法が発動し、固く閉ざされた。
(この封印の違和感…、アヤメの力が加わっているから? それとも…)
エレニオルはもう一度マークをじっと見つめ、シュルムプカへ向かった。
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