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第六話
一同は寄り道をすることなく、馬に無茶をさせ、急ぎシュルムプカへ戻った。到着すると、馬を馬舎で休ませ、沢山の水と食事を与えると、聖域内の大広間へ向かうポータルに乗り、移動を繰り返した。 大広間の奥にある、最高位の神官が腰を据える椅子には、エレニオルの代わりに先代の最高位神官でもあるマクシェーンが座っている。
「マクシェーン、今戻ったよ」 「…おお、これは。エレニオルさま、神子さま」
書類に目を通していたマクシェーンは顔を上げ、椅子から降りると、ゆったりとした足取りでエレニオルたちの元へ歩みを進める。
「おかえりなさいませ。して、如何でしたでしょうか」
エレニオルはおババ様がすでに亡くなっていたこと、代わりにアヤメという少女がおり、占いを頼んだ旨とその内容を伝えた。 マクシェーンは目を閉じ、ひげを撫でながら話を聞き終え、口を開く。
「そうですか…もう旅立っていたとは。恐らくですがアヤメ殿の言う通り、早く出立されたほうがよろしいでしょう。可能であればすぐに…と言いたい所ですが、神子さまのお体が第一ですな」 「いえ…私は大丈夫です」
そう話す美咲の顔色は悪く、とても大丈夫なようには見えない。しかし早く向かわなければ、ミレーネが移動してしまう可能性もある。そうなってしまうと、美咲が神子なのか、そうでないのかと確かめる術を失ってしまう。 そもそもミレーネが確かめる術を知っているかも不確かで「賭け」なのだ。そんな「賭け」でも可能性の一つなのならばやらなければならない。
美咲たちはほんの僅かの時間、体を休めると、先程とは違う馬に跨り、アヤメが記した海に向かって出立した。 幸いなのは、海まで馬を全力で走らせれば、フレムランカへ向かうよりは近いということだ。 美咲はエレニオルの前に座り前方を眺めていたが、疲労からか、突如として眠気に襲われた。 彼の胸に頭をあずけて、ウトウトと眠ると、起きる頃には日も暮れ、海と海に沈む太陽が眼前に広がっていた。橙色の陽光が海に反射し、キラキラと輝いている。 その美しさに、美咲は感嘆の声を上げた。
「この辺りにテントを張って、明日の早朝から海を探索しよう」
これから訪れる闇の中での探索ではないことに安堵を覚えた美咲は胸をなでおろす。 満潮に備え、浜辺からは少し離れた位置で馬を降り、皆でテントの設置をはじめる。美咲も慣れぬ手付きで、やはり苦手な作業だと思いながらも、足を引っ張らぬよう懸命にテントを張った。 テントが完成すると、エレニオルは焚き火の枝を取りに、ミスティオは魚を捕りに海へ潜っていく。 残った美咲とイオが調理道具のセットを終える頃には、枝も魚も集まった。
パチパチと焚き火が音を鳴らす。夜の海は冷えるため、火の存在が随分とありがたく思える。聖域で大した休憩もとらなかったため、皆疲労の色が濃く出ており、腹も減っていた。 今か今かと串代わりの枝に挿した魚の焼き上がりを待ったが、焼いていくうち、辺りに漂ったのは香ばしい匂いではなく腐臭だった。
「…だめだな。この魚、穢れの影響を受けてやがる」 「人魚が住む海ならと思ったけど…こんなに穢れが酷いとは…」 「悪く思うなよ」
ミスティオは枝から魚をとると、焚き火の中に放り込んだ。一層強い腐臭が辺りを包んだ後は、パチパチという火の音だけが残る。
「…穢れた水は、海の生物にまで影響を与えるんですね…」 「人魚が住むくらいだから、ここまでは進行していないだろうと思っていたのだけど。これじゃあ、もしかすると…」
エレニオルはそこまで言って口をつぐんだ。何が続くのかは、皆察しが付く。 しかし口にしてしまえば、まるでその通りになってしまう気がしたのだ。 イオは食料を入れた鞄から人数分のパンを取り出し、軽く焚き火で炙って配り始めた。
「はい、これ美咲の」 「あ…ありがとう」
受け取った美咲は、小さな口を開けてパンを頬張った。 焼いて少量のバターを塗っただけのシンプルなパンだが、空腹にはごちそうだ。イオも幸せそうに頬張り、手に頬を添えてうっとりとしている。 どうせこれ以上は何もない、と思いながら突っ込んだ食料入れの鞄から、パンが一つ出てきた。どうやら多めに入れてしまったらしい。
「…ごく。み、美咲食べる?」 「私は大丈夫…お腹いっぱいだから」 「…ごく。エ、エレニオルは?」 「僕もいいよ」 「じゃあ貰っちゃおうかな」 「俺にも聞けよ、じゃじゃ馬ぁ!!!」
唯一尋ねられなかったミスティオがすぐに突っ込みを入れた。
「なんでアンタに聞かなきゃいけないの。欲しけりゃ奪い取ってみな、ほーれほれ」 「…はあ、バカバカしくてやってらんねえ。お前、腹が減るとパフォーマンス下がるんだから食っとけ」 「う…悔しいけど反論できない」
じゃあ、とイオは残りのパンを頬張る。「ん~!」と幸せそうに口を動かした後、ごくんと飲み込んでお腹を擦り、美咲はそれを見て柔に笑った。
夜はイオとミスティオの二人が交代で番に当たる。 美咲とエレニオルは、それぞれ別のテントに入り横になった。少し肌寒いが、用意した毛布で凌げる程度だ。 美咲は疲れもあり、横になるとほぼ同時に夢の中へ落ちていった。
ブクブクという音で美咲は目を覚ます。美咲は海の中にいた。どちらが上で、どちらが下なのかもわからない。 ただ辺りにはあぶくが浮かび、ブクブクという音を立てていた。 ああ、これは夢なのだとすぐに気がつく。 後ろを振り向き、上を見て、下を向いた後、まっすぐに姿勢を正す。
「ミスタリアに…」
ブクブクという音の中に、突如声が交じる。美咲は驚き、周りを見渡すが周囲には人の気配もない。
「ミスタリアに力を借りなさい」 「ミスタリア…?」
その名称に聞き覚えはない。ここへ来てから耳にしたことがあっただろうかと考えだすと、次第に意識が混濁しはじめた。 途端に体が上昇し、海面に体が浮いていく。丁度、海の中から顔を出すと同時に、美咲は勢いよく飛び起きた。 辺りの空気は冷たく、わずかに滲んだ汗と火照った体を冷やしていく。 すぐ隣を見やると、休憩中なのか、イオが足と腹を放り出して眠っている。イオを起こすのは忍びない。イオにそっと毛布をかけ直すと、美咲はテントの入り口からひょっこりと顔を覗かせた。
「…ん?」 「あ…」
テントの外ではミスティオが焚き火に枝を焚べながら暖を取っていた。
「あの、いきなりですけど…ミスタリアって名称に心当たりはありますか?」 「は?」
美咲の唐突な質問に、ミスティオはきょとんとしている。テントから出た美咲は、ミスティオの隣に座ると先程の夢の話を伝えた。
「ミスタリア…ミスタリアな…俺は聞いたことねえな。シュルムプカにそんな地名もねえし」 「地名でなければ、誰かの名前という可能性もあるね」
ゆったりとした動作で、エレニオルがテントから姿を現し、あくびを噛み殺しながら美咲の向かい側に腰掛け、手のひらを焚き火に向けた。
「ミスタリア…僕も聞いたことがないけど、美咲が夢で見たっていうくらいだし、託宣かもしれないね」 「私が託宣を見るなんて…」 「ありえない、とも言えないからね。今の状態では」 「そう、ですね」 「エレニオル。お前よく休んでおけよ、明日の人魚探索にはお前の力が必要なんだぞ。暖まったらすぐに寝ろ」 「あはは、わかってるよ。ありがとう、兄さん。それじゃあ僕はこれで。ふう…」
エレニオルはもう一度を噛み殺し、テントの中へ戻っていった。
「あ、あの。ミスティオさん。寒いですから…その、冷えないようにしてくださいね」 「そのために焚き火の隣に立ってんだよ」 「そうですよね。…おやすみなさい」
翌朝は風も雲もない快晴だった。 皆がとっくに支度を終えた頃に起きた美咲は、慌てて支度を整え、テントの片付けを手伝う。 慣れぬ地で慣れぬ作業。寝起きにテントを片付けるだけでヘトヘトになり、美咲は自らの体力のなさを嘆いた。 もうすぐ荷物もまとまるという頃、美咲は昨晩から抱いていた疑問を口にする。
「人魚さんってことは…海の中に入るんですよね?」
荷物の最終チェックを行っていたエレニオルが顔をあげ「そうだよ」と笑った。
「…どうやって海の中に入るんですか? もしかして、泳ぐんですか…? 私、あの…泳げないんです」
美咲以外の三人の目が点になる。一瞬の間を置き、イオがプッと吹き出す。
「あはは! 全然心配いらないよ。海の中にはね、エレニオルの魔法を使って入るの」 「は、はあ…。魔法ですか」 「海の中を自由に移動出来るんだよ、私も数回しか経験はないけど楽しいんだよね~、あれ」 「イオ、遊びじゃねえぞ」 「わかってるっての、うるさいな」
またも火花を散らしそうな二人を横目に、エレニオルがこの後のことについて説明を始めた。
「大きな泡を作って、その中に一人ずつ入るんだ。道を歩くように足を動かせば、水の中を自由に歩き回れるよ」 「へえ…?」 「実際に見たほうが早いね。それに急いだほうがいいから…兄さん! イオ! 行くよ!」
ミスティオとイオは互いに鼻息をかけて顔を背けた。 エレニオルが右手を前に出し、呪文のような、美咲にとっては聞き慣れない言葉を呟く。すると、それぞれの周りに薄いヴェールが発生し、包み込む。 例えるなら、シャボン玉の中に入れられたような、そんな光景だ。
「さて、ここからは時間との勝負だよ。水の中は移動できるけど、酸素はどんどん薄くなっていくからね。今から海に入って、酸素が保つのは三時間から四時間。その間にミレーネを探そう」
全員が無言で頷いた。 そっと足を前に踏み出すと、水はヴェールに道を譲っていく。ある程度進み、美咲が海面を見上げると陽光を受け光のカーテンが目視できた。その美しさに、一瞬目的を忘れそうになってしまう。
「とりあえずはアヤメが示した、ミレーネの居場所付近まで行こう。そこまでは速度を上げで自動で移動させるから…美咲は不安なら目を閉じておいで」 「はい」
どういう動きをするのか予想は出来ないが、美咲は船酔いや車酔いをしやすい体質だ。ここはエレニオルの言う通り、目を閉じておいたほうが良いと判断し、そっと目を閉じた。 直後に、ジェットコースターが降下するときのような、僅かな浮遊感が体に伝わる。高速で海の中を移動しているからだろうか、ぶくぶくとあぶくの音だけがヴェールの中に響く。
「ん? ね、ねえ! エレニオル、止めて!!」 「え?!」
高速で動いていたため、声がくぐもってしまいエレニオルの反応が遅れた。 声の主はイオだ。美咲は薄っすらと目を開けた。
「今、何か人みたいなのがいたの!」 「人みたいなって…それって」 「そう! 絶対人魚だよ。ちょっと戻って! あっちの方向!」
考えている間にもどんどん酸素は薄くなっていく。 こんな海中に人が漂っているのは普通に考えておかしい。とすれば、人魚である可能性は高い。 エレニオルはイオが指差す方向へ進み、少し速度を落として辺りを注視した。 美咲は薄っすらと目を開けたまま、下を見る。そこに広がっていたのは、光の届かぬ深海の闇。 ぞくり、と背中が震える。あまり深く考えてはいけないと思うほどに、視線は海底へと向いてしまう。
「…い、…た…たい!」
その時、僅かに声が聞こえて、イオは「しっ」と口に指を当てて、止まるよう合図を送った。 両耳に手を当て、音の方角を探ると「こっち!」と一人で進んでいく。 イオを先頭に向かった先は、ゴツゴツとした大きな岩がいくつか並んでおり、ゴミが絡まっていた。 そしてその真中には、長い桃色の髪を振り乱し、必死に岩に絡まったゴミに挟まる尾ひれを外そうとしている人魚がいた。
「マジでいたな…」 「イオ、お手柄だね!」 「動体視力と聴力が人間のソレじゃねぇな」 「陸上ったら覚えてなさいよ、アンタ」
人魚は一同の存在に気付いていないようだ。 そして三人にはもう一つ気付いていないことがあった。
三人の周囲のどこにも、美咲の姿がなかったのだ。
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