| サポーターの面々は、上位警護隊員に付き添われ、各々の家へ帰った。 マナだけは次期マザーという立場上、帰宅が許されないため、専用に用意された部屋に通され、隅に置かれた大きなベッドに腰掛ける。 目だけを動かし、部屋の中の隅々を見渡す。所々につなぎ目がある、白く艶のある壁。 しんと静まり返った部屋にいると、まるでこの大きな塔に自分一人だけが存在するような錯覚を起こす。 現マザーであるエクトレアも、この部屋で「次期マザー」としての孤独な時を過ごしたのだろうか。そんなことを考えながら、そのまま後ろに倒れて天井を見た。 (何もないわね…) 通常のフロアでは、天井に空がある。勿論それは本物ではなく、スクリーンに映し出された映像だ。しかし例え偽物であっても、塔民は本物の空を知らない。それらしい物があるだけでも、一日における時の移ろいを体感できるのだ。 「…まるで牢屋ね……」 ふと香った懐かしい香りに、マナは勢いよく起き上がった。 「申し訳ございません、お母様ではありませんの」 物は言いようだとマナは感じた。 「でも、あなたみたいにここへ出入りする警護隊員がいるじゃない」 マナは「無」という言葉に背筋を凍らせた。 「無の状態が一生続くわけではありませんから、マナ様が心配なさる必要はございませんよ。研修では、身体能力の制限を受けていると仮定した隊員に、他の警護隊員が速やかに然るべき対応を指導されております。その後の対応はサポーターの方々にお任せするようですね」 先程アスカがファティマと呼んでいた少女のことを思い出す。 「自己紹介が遅れてしまい、申し訳ございません。私はソフィア=ブランシュと申します。上位警護隊員として、マナ様の護衛と世話係を仰せつかりました」 再びふわりと懐かしい香りがマナを包む。 「変な子…とおっしゃいますと、ファティマ様のことでしょうか?」 ソフィアはアスカから聞いた過去のエピソードを思い出し、口元に手を当ててクスクスと笑う。 「ですが、アスカ大隊長、ファティマ様のお生まれはとても名高い名家でいらっしゃいます」 ソフィアは微笑みを浮かべたままだったが、僅かな翳りが見えた。 「…あなたは結婚しているの?」 伏せられたソフィアの視線を見て、マナはそれ以上の追求をやめた。 「二分の遅刻申し訳ございません! ティサ=メリア、他警護隊員、只今到着いたしました」 スッとドアが開いたかと思うと、カツカツと慌ただしい複数の靴音が部屋に響いた。 「遅刻は褒められませんが…幸い、スジューもまだですよ。良かったですわね」 ティサはホッと胸をなでおろすと、一呼吸置いてからマナに自己紹介をした。 「あ、あの! マナ様。以前、ファッション誌でインタビュー受けてましたよね?」 ティサは目をキラキラと輝かせながら、ファッション誌の名前を出した。マナも忘れていたことだが、そういえばそんな雑誌にインタビューを受けたことがある。 「あっ、そのピアスも素敵ですね。どこのだろう…」 ティサはマナのファッションが気になるらしく、あらゆる角度からピアスを眺めては、それらしいブランド名を上げていく。 「あー! わかりました!」 上級警護隊員のソフィアですら気配を察知出来ない男の隊員がいつの間にか部屋におり、ティサは男の存在に気付くと顔色を変え、乗り出していた身を引っ込めた。 「遅刻ですよ、スジュー」 マナの青い瞳は、スジューの黒い瞳をまっすぐに見据えた。 「あなた、東の民?」 東の民という呼称は、プリュセリアの塔がそびえ立つ場所より、遥か東の方角から来た一族たちの総称だ。ファーストネーム、ファミリーネームから、アスカとファティマもそうであることが容易に推測できる。 「…はい。ワン・スジューと申します。とはいえ、もう東の民の血も薄いかと思われますが」 苛立ちを隠せない様子のマナを見て、スジューは言葉を飲み込み謝罪の言葉を述べた。 「ねえ、スジュー、ソフィア。ママに会えないのはわかったのよ、朝、覚悟もしてきたわ。でも…手紙もダメなのかしら」 スジューとソフィアは顔を見合わせる。マナは先程、エクトレアからいかなる手段を用いても、家族、友人、恋人との接触を禁じられたはずだ。それでも聞いてくることは、内密に、ということだろう。 「申し訳ございませんが…次期マザーというお立場ゆえ、例え相手がお母君であっても、手紙を出す、コンピューターでメッセージを送る等は禁止されております」 マナはスジュー達に背中を向けたまま、ベッドへ横になり、毛布を腰までかけて目を閉じた。随分と軽い毛布だが、かなり暖かい。悔しいが、寝具にしてもマナが使っていたものより質が良い。 「では我々は部屋の外で警護の任に就かせて頂きます。おやすみなさいませ」 スジューとティサの言葉にマナが返事をすることはなく、また二人もそれを気にする様子は見せず、部屋は再びマナとソフィアの二人きりになった。 (今日は本当に…色々あったわね…。でも色々あるのはこれからで…ああ、もう! 嫌になる) 毛布を頭まで被り、殻に閉じこもるようにしてマナはぎゅっと目を閉じた。眠れるような気はしない。ただ、いつまで「疲れること」が出来るのか。いつまで「眠ること」が出来るのかも、わからない。今は疲労感に身を任せることにした。 「なあ、ソフィアさんの香水ってあんな匂いだっけ?」 ぎろり、とスジューに睨まれた二人は、咳払いをして姿勢を正した。 一方、オオスギ家では、アスカを含めたオオスギ家の面々と、ファティマの幼馴染であるベルナールが揃って夕食をとっていた。 「しかし何度食っても美味いな、肉は…」 プリュセリアでは人工的な日光が造られているため、植物の栽培は出来る。だが塔の中ではスペースが限られており、省スペースで大量に栽培出来、かつ多数の調理パターンのある食べ物─豆のようなもの─が主に食されているが、肉がないわけではない。 「はっはっはー! 私に感謝するのだな、ベルナールくんよ」 リナが苦笑いをしながら、おかわりをベルナールとアスカに取り分けた。ファティマは「むぐぐ…」と口答え出来ないようだが、暗い顔をしたのはベルナールだった。 「いえ、違うんです。サーシャにも食わせてやりたいな、って…思って」 場の空気がファティマを除いて重たくなり、ハッとしたベルナールが慌てて笑顔を繕う。 「サーシャが目を覚ますまでに、俺が出世して、肉買って食わせてやればいいんですよね!」 ファティマはこれまた高級品であるアイスクリームを冷凍庫から取り出しながら尋ねた。 「ああ。今の治療が精一杯だって。悪くもならない、が、良くもならない…って言ってたな」 果たして質問の意味はあったのだろうかと思いつつ、有り難くバニラアイスを受け取った。 「なあ」 ファティマはクッションに顔を埋めて、足をばたつかせた。ここまでダラケられては、もうシュウもアスカも何も言うことは出来ない。 「違う違う。また今度、余裕のある時にサーシャのこと診てくれないか?」 それぞれ挨拶を交わすと、ベルナールは帰路に、アスカは警護隊員が仮眠を取る宿舎へと向かった。 サーシャはベルナールの義妹だ。母子家庭だったベルナールの母が再婚した男の連れ子が、サーシャである。ベルナールとは年齢が離れているが、ベルナールを兄として慕い、義母にあたるベルナールの母にもよく懐き、ファティマとも仲が良かった。 プリュセリアにはここ数年で起きた大きな事件として「B-C051事件」というものがある。BはボットのB、CはクリーニングのC、051は事件を起こしたボットの型番だ。警備用ボットではなく、清掃用ボットが起こした暴走事件は、平和なプリュセリアの塔を震撼させた。 「C051が休日で賑わうショッピングモールで、買い物中の親子を攻撃。父と義母は八歳の娘を庇い死亡。怪我人は多数出たが死者はこの二名だけだった。その遺体は見たものに大きなショックを与え、目の前で親を亡くした娘(八歳)は精神病院へ搬送。未だ意識戻らず。…確かに、お父さんっ子のサーシャちゃんには辛い事件だったけど…」 ファティマはソファの上でタブレットを持ち、左手にお菓子を抱えながら「B-C051事件」の記事に再度目を通していた。ボットが暴走する確率は極めて低いが、誰かが作ったものである以上、絶対に暴走しないとは言い切れない。 「……」 夕食の片付けをしていたリナは返事をすると、手をタオルで拭いてファティマの部屋に入って引き出しを開けた。大分前に買ったものだが、ファティマがというよりリナが気に入っている可愛いクマがプリントされた部屋着を取り出しすと、嬉しそうにリビングへ向かう。 「…ん~! はあっ。なんか疲れちゃった。…ベルナールにチョコアイス譲ってあげたらよかったかな」 タブレットのスリープボタンを押すと、ソファの背に立て掛けて目を閉じた。あっという間に夢の中へ落ちていったファティマに呆れながらも、愛おしい我が子の寝姿にリナとシュウは顔を綻ばせた。 |
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2023.1
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