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第一話 選定の時

 プリュセリアは呪いの塔、囚われの我ら人類─
塔を管轄するマザーでさえ、塔の外に出ることは叶わない。故に、この塔のことをそう呼ぶ者もいる。

プリュセリアは癒ゆ揺り籠、慈愛に満ちた我らが母─
休むことなく塔を監視し、民を守るマザーの元で暮らす人々の気持ちは穏やかだ。故に、この塔のことをそう呼ぶ者もいる。

時の歯車はゆっくりと回りだし、選定のときは突如として訪れる。彼らに与えられし運命─さだめ─とは。

「ただいま、ママ。具合はどう? 今、温かい紅茶を淹れるから。美味しいって評判のクッキーも買ってきたのよ」
「ありがとう…マナ」

マナと呼ばれた女性はにっこりと微笑んでキッチンへ向かう。ベッドから起き上がり、肩にストールを巻き直したのは、マナの母親・エミルだ。コンコンと乾いた咳を出す口元を手で抑えながら、愛娘であるマナの後ろ姿を優しい眼差しで見つめた。
アッシュブラウンの艷やかでサラサラとした長い髪と、細身の体から伸びるスラッとした手足はまるでモデルのようで、そんなマナのことをエミルは自慢に思っていた。
眉目秀麗で働き者のマナは近所でも評判がよく、よく縁談を持ちかけられたものである。
そんなマナにも数年前に恋人が出来、仕事の他にデートで家を空けることも多くなった。けれど、帰る際には必ず連絡をし、エミルに何かしらお土産を買ってくる、心優しく母親思いの娘だ。

”選定”は多くの塔民が自分とは無関係だと考えている。
それは塔に住む民の人数が多いために確率が低いということよりも、周期的なものが関係していた。
塔に住む一般の民と、塔を管轄するマザーには通常接点がない。マザーと接する機会があるのは、塔の警護にあたっている一部の上級警護隊員たちと、マザーの手足となり塔の安全を守るサポーターの数名のみである。
更に例外的ではあるがもう一人、一定の周期で選ばれる”次期マザー”という存在だ。次期マザーはその名前の通り、次の代のマザーになる人物のことで、選定条件などはサポーターと同じく一切開示されていない。そもそも選定条件があるのかないのかすらも判明していない。

「ママ…、昼食はちゃんと食べたの?」
「…あまり、食欲がなくてね」
「もう…食べなきゃ駄目。でもいいわ、せめてクッキーを食べて、紅茶で体を温めてね」

マナが紅茶を茶こしに入れている時に、ピロリンと部屋に備え付けのコンピューターが通知音を発した。
塔という限られたスペースで生活するにあたり、各家族の「家」というものは特別な意味を持つ。
赤子として生まれた瞬間、手の甲に刻まれる印。刻印。家に備え付けのコンピューターは、その刻印がなければ起動することが出来ない。
コンピューターは一家に一台であったり、各々の部屋にあったり、家の広さなどにより様々だが、塔民への連絡事項の他、重要機密事項などの連絡にも使われるため、音が鳴ればすぐに確認するのが塔民の習わしであった。

「はい、ママ。紅茶とクッキー。凄く人気のお店でね、これが最後の一袋だったの。何か通知が来たから、ママ宛てか私宛てか見てみるわね」
「ええ。塔からの連絡かしら…」
「さあ…」

恋人からのメッセージならば良いのに、とマナは笑ってコンピューターに向かう。コンピューターの一部である、刻印を感知するための機械に手の甲をかざすと、ロックを解除した。どうやらメッセージはマナへ向けられたもののようだ。
「マナ・リュンプ様へ」と書かれたメッセージの隣には、塔からの重要な連絡である赤いマークが付いている。恋人からのメッセージでないことに、少し肩を落としながら、マナはメッセージを開いた。
エミルはマナから受け取った紅茶を口の中に含み、少し冷ましてからゆっくりと飲み込んだ。

「……嘘、でしょ…」
「…? どうしたの、マナ」
「…ママ…」

振り向いたマナの瞳には、激しい動揺の色が見て取れた。

・・
・・・・

一方その頃…─

「ファティマちゃん、お願い! 折角タイプCなんだからさ、ぱぱっとスペルで治しちゃってよ!」
「だーめ!! これくらい、消毒液と絆創膏で十分。はい、治療終わり!」

ファティマと呼ばれた、まだ幼さの残る顔立ちの女性は、塔を警護する隊員であることを示す、青を基調とした制服に身を包んだ男の足に絆創膏をバシッと貼り付けた。その右膝の布地が破れ、僅かに見える絆創膏を貼った肌には血が滲んでいた。

「むしろ絆創膏もいらないレベルなんだよ?」
「もー、頼むよお…俺、血とか苦手なんだよなあ…」
「そんなんじゃ警護隊員としてダメダメ。慣れて、ね!」

星のワンポイントが入ったオレンジのTシャツの裾からは、小さなヘソがちらりと見え、ショートパンツから伸びた足は程よく筋肉がついており、引き締まっている。髪の毛は、この塔には少ない銀色で、耳元で結った長いツインテールが幼さを強調していた。

「痛え!!」

聞けば、この警護隊員は塔民同士の取っ組み合いの喧嘩を仲裁しようとした際に怪我を負ったらしい。訓練不足ではないのか? でも、それも塔が平和な印だろうか、とファティマはため息を吐く。

「はーい。次の方どうぞ~! おじさんは帰ってね、処置は終わったから」
「そ、そんなあ…」
「あらあら、ファティマちゃんは手厳しいわね」

そこへ、のんびりとした優しい声が響く。中年の警護隊員は、勢いよく後ろを振り向いた。

「あ、ミアさん! おかえりなさい。だってこのおじさん、これっくらいの掠り傷にスペル使えって言うんだよ!」
「ミアちゃんからも言ってくれよ、傷があるの嫌なんだよぉ…」

ゆったりとした動作で入ってきたのは、ファティマがアルバイトするこの治療院の院長・ミアだ。赤茶の髪に、ピンクフレームの大きな眼鏡が特徴的な女性で、正確な年齢はわからないが、おそらく三十代前半といったところだろう。
しかし、豊富な知識と、微力ながらも扱えるタイプCの能力、そして何より笑顔を絶やさないおっとりとした優しい性格が患者に人気の医師だ。

この塔に住む人間は、ざっくり二つに分けられる。
”スペル”という特殊なエネルギーを用いた術を使うことが出来る者と、使えない者、だ。
スペルを使える物はソーサラーと呼ばれ、日常生活や塔の警護などで重宝されている。
そして、スペルを使える者たちも、主に三種類に分けられていた。
攻撃に長けたソーサラーはタイプA(type-Attack)。
防御に長けたソーサラーはタイプB(type-Barrier)。
回復や妨害に長けたソーサラーのことをタイプC(type-Cure&type-Control)。

後者になるほど扱いが難しく稀有な能力とされており、ファティマはタイプCのソーサラーだ。特異体質でもあり、強力な回復スペルを使うことが出来るほか、自身の怪我や病気の治癒力も恐ろしく高い。
ミアも、ファティマと同じタイプCのソーサラーではあるものの、ファティマほど強力なスペルを使うことはなく、自身の治癒力も標準よりやや高い程度だった。同じタイプであっても、強さや効果に違いがあるのだ。
ミアはタイプCといえど微力なタイプだが、その人柄と優しい笑顔を見に来るけが人や病人は多かった。

「うーん、ファティマちゃんの言うことも一理あるのよ? スペルだって、エネルギーを消耗するし…」
「う…ミアちゃんまで…」
「でも! 日頃から塔の安全と安心のために働いて下さっている隊員さんですものね。私が治療するから、安心してください」

ミアの言葉を聞いた警護隊員は大げさに喜びを表現すると、貼ったばかりの絆創膏を剥がし、傷をミアに見せた。
ミアが手をかざし意識を集中させると、小さな傷が徐々に小さくなっていく。完治という程ではなかったが、気にならない程度にはなったようで、警護隊員の男はミアの手を握って何度も感謝を述べた。

「患者さんは彼で最後よ。ファティマちゃん、これ、お給料ね」
「わー! ありがとう、ミアさん!」
「えええ、お給料ってことは…ファティマちゃんとはしばらくお別れかー、おじさん寂しいよ」

ファティマはこの治療院で働いているが、継続して務めているわけではない。
もともと働くことに対して面倒くさいと思っているところがあり、小遣いがなくなった時しか仕事に来ないのである。
そのことを両親に咎められたこともあるが、ファティマの意思が変わることはなかった。
ファティマの母・リナは、昼過ぎに起きてくるファティマのために食事を作るのが面倒だと言うと、自動で簡単な料理を作る機械を組み立て、ファティマがお菓子の残骸を散らかして困ると言うと、自動掃除ロボットを自作した。

「またお金がなくなったら来るわよ。ね、ファティマちゃん」
「んー、もっといい条件の治療院から声がかかればそこに行くかも!」
「あら、そんなこと言うなんてミア姉さん悲しいわ」
「うそうそ! ここの治療院の雰囲気好きだから、またここに…ん?」

ピロリン、とファティマの腕時計が鳴った。確認すると「新着メッセージあり」の文字が表示されている。しかも、赤いマーク付きだ。これは家に備え付けのコンピューターでなければ確認することが出来ない。

「何か通知が来たみたいだから、私は帰って確認するね。じゃあね、ミアさん、おじさん」
「またお願いね、ファティマちゃん」

駆け足で出ていくファティマの背中に向かって、ミアが手を振ると、ファティマもぶんぶんと手を振り返した。
給料は「すぐに使うから」という理由で手渡しとなっている。封筒越しにでもわかる厚みににんまりと笑みを浮かべた。
ファティマは明るい性格だが、友達という友達はおらず、異性の幼馴染がいるだけだ。家族は父と母。祖父母はすでに他界しているが、家は何代にも渡り引き継いで来た立派な家系である。
塔のマークが書かれたメッセージを早く見たい。逸る気持ちを抑えながら、ファティマは走って家路についた。

「あら、ファティマ…おかえりなさい。ねえ、聞いて聞いて! 今朝ね、お父さんったら…」
「今それどころじゃないから後でね!」

いつもの様子で父・シュウの話をしようとするリナの横を駆け抜け、ファティマは自室に入った。
ファティマの家は他の家と比べると大きい部類に入る。そのため、各々の部屋に専用のコンピューターが用意されていた。
早速、手の甲の刻印をかざすと「ロックを解除しました」という、無機質な機械の声が流れる。

「えーと、何々…ファティマ・オオスギさまへ…塔からの重要機密事項? え?」

ファティマは、はて、と首を傾げる。
塔のマークがついたメッセージ自体、受信したのは初めてだ。一体、なんの連絡だろうかと、メッセージのタイトルをタップし中身を確認した。

「ファティマ・オオスギさま…貴殿は新規サポーターに選出されました、って…新規サポーター?」

聞き慣れぬ単語に、ファティマは口元に指を当ててしばし思案した。そして、サポーターという言葉の意味を理解した瞬間、驚くほど大きな声を上げたのである。
悲鳴に似た声を聞きつけ、リナが慌ててファティマの部屋のドアをノックした。

「どうしたの? ファティマ! 何かあったの?」
「お母さん!」

勢いよくドアが開けられ、リナは思わず仰け反った。危うくドアが顔面にぶつかるところだ。

「今はまだ言えないんだけど、すごく大事なこと!」
「い、今は言えないって…、どうしたの、何か悪いことしてるんじゃないでしょうね?」
「私がそんなことするわけないでしょ!」
「そりゃ、勿論お母さんだってそう思ってるけど…」
「大事なことだから、しっかり確認したいの。はい、出ていった出ていった」

ファティマはリナの背中を押し、部屋の入口から遠ざけると、くれぐれも入らぬようにと念を押し、大きな音を立ててドアを閉めた。
コンピューターの前に座り、改めてメッセージを見る。

「ファティマ・オオスギさま。貴殿は新規サポーターに選出されました。つきましては、十日午後三時に警護隊員がお迎えに伺いますのでご同行をお願い致します…? 十日っていうと…明後日、かあ。私がサポーター…どんな仕事なんだろう。ああ、楽しみだなー!」

体全体で喜びを表現しながら、ファティマは何度もメッセージを読み直す。
十日、明後日、午後三時。心の中で何度も復唱し、サポーターという未知の存在に思いを馳せた。

「んー、一応髪の毛切っておこうかな」

特に理由もなく伸ばしていた髪だが、これを機に切るのも良いかもしれない。
しばらく行っていない美容室へ向かうため、ミアから受け取った先程の封筒を握りしめ、ファティマは慌ただしく家を出ていき、忙しないファティマの背中に向かい、リナは「後でお父さんの話聞いてね」と言葉を投げて見送った。

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